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弟の領分

 

 コトちゃんが部屋に近づくとすぐに分かる。
 ぺたぺたと小さな足音が響いて、それと一緒にぼそぼそとずっと独り言が聞こえてくるから。
「やっぱりケーキかなぁ……んー、でもお腹に溜まっちゃうのだと、晩御飯食べらんなくなっちゃうし……」
 コトちゃんの考えることは家族中にダダ漏れだ。
 だから分かる。未だに彼氏の1人もいないことだとか、まだ人を好きになったこともないことだとか。
 来年の4月で25になるのに、未だに内面外面共に子供っぽい――酒屋で毎回身分証明書の提示を求められる――姉に、オレは大きく溜め息を漏らす。
 大きくずるりと音を立てて、(ふすま)が開いた。
 低い身長に、凹凸のない躰。赤いチェックのパジャマに半纏、眠そうにバスタオルで水分で重くなった髪を拭いている姿は、どう見たって小学生のようで。
 オレはもう一度深く息を吐き出した。
 そんなことにはお構い無しに、
「寒いよー」
 コトちゃんは暢気な声を上げながら、
炬燵(こたつ)の中に潜り込む。
 足を伸ばして、オレの足の裏を軽く蹴ってきた。触れた爪先のあまりの冷え具合に、思わず肩を竦める。
「つめた! どうしてフロ入ったばっかりなのに、こんなに冷えてるんだよ」
「んー。廊下で考え事してたからかなぁ」
 普段は決してとろい方ではないはずなのに、昔からコトちゃんは考え事を始めると周りのことがどうでもよくなってしまうところがある。この人は、本当にちゃんと社会人として働けてるんだろうか。見れば見るほど、なんだか不安になってくる。
「ところで、ケーキって何のこと?」
 呆れながら、廊下での独り言に質問を投げかけた。
「どうして
(そう)くんが知ってるの?」
 ……この人は、素で言ってるんだろうか?
 こめかみを押さえつつ、「コトちゃん単純だから」答える。
「壮くんはさ、毎年沢山チョコ貰ってくるよね」
 くりくりのどんぐり眼がまっすぐにオレを見ていた。
 相変わらずでかい目だな。思いながら、おざなりに答える。
「沢山……ってほどでもないだろ。殆どは義理だし」
「でも、ほとんどってことは本命もあるんでしょ?」
 そりゃオレだってもう
22ですよ? 彼女の1人や2人や3人――おっとそれは言いすぎか――居ない方がおかしいじゃないか。
 だけどこれではっきりした。ようするに、バレンタインのことが聞きたいのか。
 ようやく女に目覚めたのかとも思ったものの、……この人に限って、それはないか。どうせ、会社の人に配ったりするんだろう。今までは不参加だったけれど、どうせ同僚か何かに誘われたんだ。
 思いながら、未だに男のオの字も知らない姉の行く末が思いやられる。
 
4月から社会人のオレよりずっと、社会人もうすぐ5年のコトちゃんの方が、幼く見えるのは目の錯覚なのか?
「そりゃ、まあ」
 だよねえ、言いながらコトちゃんは髪を拭いていた手を止める。
「なんだよ、どうせオレや親父以外、今年もあげる相手もいないんだろ」
 即答と思いきや。
 どうしてかコトちゃんは少しだけ上を見上げ、何か思案しているようだ。
「んー……、どうなんだろ」
 口ごもるというよりは考えをめぐらせるような答えに、どうしてか胃がきりりと痛み出す。
 なんだか急に、胸焼けが始まり、鼓動が早くなる。
 聞きたくなかった。核心に迫ることは。
 だけど、聞かずにはいられない。
 平静を装って、みかんに手を伸ばす。
 僅かに震える手に、気付かれないといい、思いながら。
「一緒に居てドキドキとかするのか?」
「それは別にないなぁ」
 少しだけ、靄が薄まる。
 なんだ、結局コトちゃんは会社の上司にでもやるだけなんだ。そうに違いない。
 みかんの裏側に爪を立て「どんな奴なんだ?」オレは茶化すように尋ねた。
 コトちゃんも、みかん籠に手をのばしたので、とってやると、「ありがと」言った後に、ゆっくりと話しはじめた。
「んー、あんまり自分から動こうとはしない子だなぁ」
 子、ってことは年下なのか?
 なんだか嫌な展開に、剥きかけた手が固まった。
 コトちゃんはそんなオレには構うことなしに、坦々と続ける。
「相手の気持ちとか汲み取って行動するのとかは、期待しちゃダメな人だと思う。して欲しいことがあったら、口で言わなきゃ、わかんないんだろうなぁ。始めは几帳面で神経質な人だと思ってたけど、話すようになってみると、割とズボラでいい加減だし。物を覚えるのも苦手そう。こないだだって、ボスって紙のゆきって色をボスユキってのが名前だと思っててね、ボスユキの発注をお願いしますって
工務(ウチ)に来て、課長に大笑いされてたし。あとはね……」
 言葉はするすると続いてゆくものの、とても好きな男について語ってるとは思えない内容だな。
 その後も言葉は続いたものの、人と接するのも苦手そうだとか、目を見て話すのに慣れてないだとか、下手すりゃ悪口にしか思えない内容ばかりだった。
 こりゃ取り越し苦労ってヤツか。
 大体、コトちゃんが恋愛に目覚めるなんて、あるはずが無い。
 多分一生、この人はこんな感じなんだろうな。
 みかんを向き終わり、口に入れつつ、オレは野次を入れる。
「なぁ、それ、本当に好きなのか?」
 コトちゃんもみかんを頬張り、薄皮のまま食べてから、「だから分かんないんだって」答えた。
「だけど、見てて楽しい。ずーっとこの人のこと見てたいなーって思うの」
 口内に、酸味が広がる。
 オレじゃない、ずっと先を見るようなその瞳は。
 今までオレが見てきた姉としてのコトちゃんとは全く違って。
 しっかりとした、意思を持った色をしていた。
 訂正しなくちゃいけないみたいだ。
 何時までも大人になれないのはオレの方。
 コトちゃんがいつまでも変わらないように見えたのは、変わらなければいいと望んでいたから。
「いんじゃない、それなら。頑張ってチョコケーキ作って、その男誘惑してやれよ」
 ほんの少しだけ、失敗すればいいと思ってしまったけれど。
「ありがと」
 とろけるように笑むその顔が曇るような結果には、ならなければいいなと思った。


 自分が思っていたよりずっと、オレはシスコンだったらしい。

 

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